弁天様との縁も。②
つづき。
後日、戸田の図書館で戸田の郷土史を調べたところ、次のような事がわかりました。
◦ 海辺を護る弁財天。
1331~1333年の頃から戸田の三の輪にてまつられるようになった。
◦ この弁天様はどこから来たのか。
もとは、江の島の弁天様にお仕えする童子16体のうちの1体。
◦ なぜ、江の島から戸田へ来られることになったのか。
相州(神奈川県)にある鎌倉の建長寺を開山した大覚禅師が、
江の島の宮司から童子16体のうちの1体をいただいた。
禅師は、ありがたく思い、いつも持ち歩いていた。
その後、この童子を甲州(山梨県)に安置。
禅師が亡くなった後、甲州から
戸田の三の輪の入り江にとつぜん現われた。
そのお姿は光り輝いておられたそうです。
童子は、今までの良い行いによって弁天様へと
身分が高くなったのでしょう。
村人はこれを尊び、拝みました。村は栄えて
そして、その100年後、三の輪から御浜の社へと移りました。
この頃、この社は大風が吹くとすぐに飛ばされるので
「ころび堂」と呼ばれていたそうです。
なんと!! お堂がころぶとは。・・・
本日はここまで。
つづく。
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